練習問題【1級世界史】- 歴史能力検定検定 -

設問1

 15~17世紀は、かつて「地理上の発見」時代とされてきたが、近年、この呼び方があまりにヨーロッパ中心的でありすぎるとの批判から、「大航海時代」と呼ぶのが普通になった。しかし、この「大航海時代」という呼び方もヨーロッパ中心史観を脱しきっていない、という批判があり、そうした批判者の中には、この時期が、ヨーロッパ人に刺激をうけた形ではあるものの、インドから東南アジアをへて中国・日本にいたる海域でも海上交易が非常に活発化した時代にあたるので、世界的規模での「大交易時代」と呼ぶことを提唱する人々もいる。いずれにしても、この時代に「世界の一体化」が始まったと考えてよい。「大交易時代」と重なる形でヨーロッパ諸国の植民地抗争も起こる。「大交易時代」の世界や海上貿易・植民地抗争をめぐる歴史について、あとの問いに答えなさい。

 

問1 15世紀前半には、7度におよぶ鄭和の南海遠征が行われ、分遣隊はアフリカ大陸の東岸やアラビア半島西岸の紅海に達した。15世紀前半のアジア諸国について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。

    日本では、京都で応仁の乱が起こった結果、室町幕府が衰えて戦国時代に入り、沖縄では、中山王が北山・南山を倒して統一が達成され、中山王は明から冊封をうけ、明に朝貢した。
    朝鮮半島では、朝鮮王朝(李朝)の太宗が朱子学を基盤として儒教的な王道政治の確立をめざす一方、子音や母音を表す文字要素を組み合わせて音節文字とするハングルを訓民正音として公布した。
    ベトナム北部は、陳朝の復興をかかげる明の永楽帝によって占領・支配されたが、永楽帝の死後、黎利(レ=ロイ)が明からの独立を達成し、黎朝大越国を建設し、都をハノイにおいた。
    南インドでは、チョーラ朝がラージャラージャ1世の子ラージェーンドラ1世のもとで最盛期を迎え、スリランカへ侵攻したのみならず、マレー半島やスマトラ島へも遠征軍を送った。

設問2

問2  15世紀には、ポルトガル人の海上への進出も始まる。15世紀のポルトガル人航海者について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。

    ポルトガル王ジョアン2世の子エンリケ航海王子は、モロッコのセウタ攻略後アフリカ大陸に興味を持ち、自ら船隊を率いてアフリカ大陸の西岸を探検し、ギニア湾のニジェール川河口に達した。
    バルトロメウ=ディアスは、ポルトガル王の命令でインド航路開拓のためアフリカ大陸西岸を南下し、アフリカ大陸の南端に達してそこを嵐の岬と命名したが、帰国後、ポルトガル王が喜望峰と改名した。
    カブラルが、ポルトガル王マヌエル1世の命令でアフリカ大陸西岸を航海中に海流に流されてブラジル漂着し、この地をポルトガル領と宣言したことは、トルデシリャス条約が結ばれる原因となった。
    ヴァスコ=ダ=ガマは、喜望峰を回ってアフリカ大陸東岸の都市マリンディに寄り、その地でイスラーム教徒の水先案内人イブン=ハズムを得て、インド洋を横断してインド東南海岸のカリカットに到達した。